足尾から水俣・丹沢、そうして福島原発へ
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足尾銅山略年表
(未完、これからも続きます)

16世紀半ば    銅山の発見
1610年(慶長15) 備前(岡山県東部)の2人が山に登り銅の露頭を発見。この山が備前楯山(1272m)
                  と呼ばれるようになる。
1614年(慶長19) 江戸幕府直轄の足尾銅山になる。
1627年(寛永04) 足尾の銅が江戸城や東照宮の屋根に使われる。
1676年(延宝04) 年間1000トンが長崎から輸出され、その2割が足尾銅山産。
         1700年前後が最盛期で毎年1300〜1500トンを生産、「足尾千軒」と称されるほど
          の隆盛を見せた。しかし18世紀末には年産100トンを下回るようになり、廃鉱同 
          然で明治維新を迎えた。
1877年(明治10) 古川市兵衛が経営権を取得し操業開始。
         直利(なおり)[品質がよく幅が広い鉱脈]を相次いで発見、産銅量が飛躍的に伸
          びる。
1884年(明治17)  産銅量が増大し日本一の銅山になる。
1885年(明治18) 産銅量4080トン、全国生産量の4割に迫る。
          渡良瀬川の魚類の大量死が始まる。
1889年(明治22) 町村制施行、足尾村が足尾町になる。
1890年(明治23) 渡良瀬川大洪水、栃木・群馬県に鉱毒被害発生(鉱毒の主成分は銅化合物、亜酸
         化鉄、カドミウム、硫酸など)。
          3つの近代化工事(間藤水力発電所、索道架設、古川橋)が竣工。
1891年(明治24) 栃木県選出の国会議員・田中正造が帝国議会で「公益に害あるもの」として足尾
         銅山の操業停止を要求。
1893年(明治26) ベッセマー式精錬法を導入し銅生産量が増え、煙害も増加。 
1894年(明治27) 【日清戦争勃発】
1895年(明治28) 【日清戦争終結】
1896年(明治29) 渡良瀬川大洪水、1府5県に鉱毒被害。鉱毒問題が一気に拡大した。
          田中正造は被害地の中央に位置する雲竜寺に群馬栃木両県鉱毒事務所を設置。
1897年(明治30) 鉱毒被害民第1回、第2回大挙押出し(大挙上京請願運動)
          明治政府が第一次鉱毒調査委員会を設置、足尾銅山経営者・古川市兵衛に対し「鉱
          毒予防工事命令」、農商務省が煙害(亜硫酸ガス)で裸地化した山地を復旧するた
          めの訓令(足尾国有林復旧作業の始まり)。
1898年(明治31) 渡良瀬川大洪水。鉱毒被害民第3回大挙押出し。
1901年(明治34) 議員を辞職した田中正造、鉱毒事件解決を訴えるため天皇に直訴。
          煙害と大規模山林火災により松木村が廃村になる。
1903年(明治36) 第二次鉱毒調査委員会が報告書を帝国議会に提出。日露戦争をひかえた政府は、 
          富国強兵、殖産興業政策を推し進めていたので、鉱毒問題を治水問題にすりかえ、
          被災地を遊水地にすることで幕引きを図る。
1904年(明治37) 【日露戦争勃発】
1905年(明治38) 【日露戦争終結】
         政府は渡良瀬川下流の谷中村全域を買収し、鉱毒を沈殿する遊水地を造る計画を
         立てる。
1906年(明治30) 鉱毒反対運動の中心地だった谷中村を強制廃村。
1907年(明治40) 足尾銅山暴動、施設が機能停止に追い込まれる。軍隊が出動して鎮圧。
1911年(明治44) 谷中村民、北海道常呂郡サロベツ原野へ移住開始(現在の常呂郡佐呂間町栃木)。
1912年(大正01) 足尾鉄道・下新田ー大間々町開通(銅鉱石の運搬用、桐生ー下新田は官営鉄道)。
1914年(大正03) 【第1次世界大戦勃発】
          足尾鉄道全線開通・下新田ー足尾本山
1916年(大正05) 銅山好況により足尾町の人口は38,428人になる。
1918年(大正07) 【第1次世界大戦終結】
          足尾鉄道を国有化。
1921年(大正10) 栃木県で初めて足尾でメーデー実施。
1925年(大正14) 珪肺病対策が全国的な労働者の要求として取り上げられる。
1939年(昭和14) 【第2次世界大戦勃発】
1945年(昭和20) 【第2次世界大戦終結】
1952年(昭和27) コウシンソウが特別天然記念物に指定。
1954年(昭和29) 足尾砂防ダムが完成。
1955年(昭和30) 【高度経済成長が始まる】 
1956年(昭和31) 自溶精錬法を導入、亜硫酸ガスの排出が止まる。
1972年(昭和47) 中国人殉難烈士慰霊塔建立。
1973年(昭和48) 【高度経済成長の終焉】
          足尾銅山が閉山、銅山発見以来3360年の歴史の幕を閉じた。
1978年(昭和53) 国道122号線・日足トンネルが開通。
1980年(昭和55) 足尾銅山観光オープン。
1989年(平成01) わたらせ渓谷鉄道営業開始。
1996年(平成08) 「足尾に緑を育てる会」結成、植樹ボランティアが始まる。
          銅親水公園オープン。
2000年(平成12) 足尾環境学習センター竣工式。
2005年(平成17) 人口3,266人。
2006年(平成18) 日光市に編入。

(未完  加筆、修正の必要あり)
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